赤染LIFE

自分の世界観を反映する

羽生結弦の"origin"とクアドアクセル

タイトルに羽生君を入れたのはアクセス数を少しでも伸ばすためだったりする。(おい)

 

「羽生君の今年のフリープログラムはなんとプルシェンコの伝説のプログラム『ニジンスキーに捧ぐ』!!!」というニュースが流れた時の反響は凄かったですね。当時プルシェンコをリアルタイムで追っかけてた人、そうでなくてもプルシェンコを知ってる人が色めき立ったと思います。そうそう羽生君の憧れはプルシェンコである事は有名ですよね。彼はソルトレークオリンピックの聖戦をリアルタイムで見ていた世代。恐らくこの世代はほぼ全員がプルシェンコヤグディンに憧れを抱きながら競技をしていたはずです(羽生君は勿論ヤグディンも尊敬しておりました。)

僕のプルシェンコの出会いはトリノオリンピック。僕はまだ小学校低学年でフィギュアのルールなんか全く分かるはずもなかったです。ジャンプもトリプルアクセルと四回転ジャンプって言うのが凄いんだなっていう知識しかなかった。

フィギュアスケートなんざね、スタイルのいいお兄さんお姉さんが氷の上を滑ってくるくる回るお遊戯会だ」っていう認識だったと思います()

でもその主観を完全に覆してくれたのがプルシェンコでした。もうとにかく凄かった。ジャンプめっちゃ飛ぶし表現が魅力的で見とれちゃうし。でもってステップが超早くてカッコいいの。彼のせいで彼以外の殆どのステップが物足りなく感じるようになってしまった。フィギュアってこんなにカッコいいものなのかと。この時から浅田真央ちゃんや高橋大輔の台頭もあり、フィギュアスケートという沼にハマってしまった僕は今でもフィギュアスケートという競技を追っかけてますね。

要するに、フィギュアスケートにおいて僕と羽生君の"origin"はプルシェンコという共通点があるんですねえ!(自惚れ)

 

 

ニジンスキーに捧ぐ」

僕がトリノ五輪のex、トスカを観た時と同じように「これはもはや演技ではなく芸術のよう」と、この演技を観た人はみんな思ったと思う。芸術作品なんですよ、あのプログラム自体が。当時のプルシェンコ自身が彫刻のように美しい上に音楽と滑りのズレが全く無いどころか融合さえしてるように見える圧巻の表現力が加わってしまうのだから芸術点は必然的に満点が付けられてしまったのだった。芸術点満点というのは「芸術的観点で観ればこれより上のプログラムは存在しない」「採点できない」「文句をつければ炎上する」という境地であり、さらにそれを審査員全員がそう思ってしまったという事です。このプログラムが伝説と呼ばれるのはそういう事なんですよね...

 

この曲を滑る権利があるのはおそらく羽生君くらいでしょうね。というかこんなに滑るハードルの高い曲なんてみんな嫌がると思う。ちょっと情けない滑りした途端恥ずかしくて引退してしまうでしょうね。

まあと言っても「ニジンスキーに捧ぐ」を原曲そのまま踊るわけではないですからね。ここが結構重要な事なのですがプルシェンコニジンスキーは伝説のバレエダンサーニジンスキーの振り付けを散りばめたり終盤にシューベルトの魔王の曲を入れる編曲をして彼の生涯を締めくくる表現をしたりするわけですが羽生君の場合そんなの入れないでしょうね。「ニジンスキーに捧ぐ」よりも「art on ice」寄りの編曲だと思う(あっでも公開練習の時はちゃんとステップの節も入ってたんですよね。勿論古きよきストレートラインステップは無いとはいえね)。練習の映像を見る限りでは編曲も振り付けも全く予想できないというのが正直なところですね〜。ただどっちに寄っても楽しめそうだな。という訳で最終的な仕上がりが果たしてどのようなプログラムになるのか、シーズンがとても待ち遠しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、四回転アクセルっていうのは誰も跳べないの?」

「そうよ。今まで誰も」

「ぷるしぇんこも跳べないの?」

「そう。だからあなたが大人になったら四回転アクセルを跳ぶのよ」

 

まあ僕はスケート選手になれなかった訳だけど羽生君がクアドアクセルに挑戦してると言うなら勿論応援する。四回転アクセルは僕と母の悲願なんです。成功させて僕らを成仏させてください(おい)

勿論自分の身体最優先でね。

 

by the way,私は何回「伝説」という言葉を使っただろう?